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勝山の史跡

公開日:2014年3月6日


歴史と賑やかな商業空間快適な居住空間が共存するまち「勝山の史跡」を訪ねて見ましょう 。

  1. 勝山御殿跡

  2. 住吉神社(国宝)

  3. 秋根古墳

  4. 小野一里塚

  5. 勝山城址(且山)

  6. 青山城址

  7. 「曲水の宴」の碑

  8. 砂子多川の「かっぱ石」


勝山御殿跡

勝山御殿跡の写真

風雲急を告げる幕末、関門海峡においても外国船との間に何度か戦いが起こる。
当時の長府藩主 毛利元周(もとちか)は、海岸に近い串崎城が危険なため、1863年(文久3年)に急きょ、勝山御殿を起工し、7か月で完成させている。
今も残る石垣や石畳は御座の間、大書院室、ご寝所など60余りの部屋を持つ御殿があったことを偲ばせるに十分な威容を残している。 

 

 

 


 住吉神社(国宝)

住吉神社(国宝)の写真神功皇后にゆかりのある1800年の歴史を持つ格式高い神社である。
本殿は、応安3年(1370年)大内弘世が再建したもので、創建当時の面影をよく残しており室町初期の神社建築として極めて貴重な存在となっている。(昭和28年建造物として国宝指定)
拝殿は、天文8年(1539年)毛利元就が建立寄進したもので、本殿に向って中央に建てられている。これも再建当時の原形・特徴を見事に現在に伝えている。(昭和29年、国重要文化財指定)。

 

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秋根古墳

秋根古墳の写真 6世紀後半の古墳と推定されている。1号墳は秋根記念公園内の秋根八幡宮裏、2号墳はその南約100mの位置にあった。
古墳からは、勾玉などの装身具の他、太刀などの武具や馬具などが出土している。
現在、1号墳はそのままの場所(秋根記念公園内)、2号墳は、すぐその西側の位置に調査時(昭和50年)前の姿で移設されている。

 

 

   


 小野一里塚

小野一里塚の写真

 

江戸時代、主な街道には一里塚が設けられた。下関から椋野・秋根を経て豊田町から長門市へと続く道は、年貢米などの輸送に利用されていたことから「御米道(ごまいどう)」と呼ばれた。 
直径5~6 m、高さ2.5 m、小石積みの円柱形で市内に残る唯一の一里塚として市の文化財に指定されている。  

 

 


勝山城址(且山) 勝山城址(且山)の写真

1575年(弘治3年)大内義長が内藤隆世と共に籠城、毛利軍が攻略に手間取っといわれている。大内氏最後の城だと考えられている。 

 

 

 

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 青山城址青山城址の写真

山は「形山」という古名もあり、形が富士山に似ているので「長門富士」ともよばれている。城は1560年頃(永禄年間)毛利氏が九州の大友氏との戦いに備えて築城したものだと考えられている。   

 

 

 

 


  「曲水の宴」の碑   

曲水の宴の碑の写真

1824年(文政7年)3月3日。藩主毛利元義は、砂子多川に盃を浮かべて即興の詩をつくり「曲水の宴」を開いたといわれる。  この日のありさまを儒者 小田南がいが詩にうたい、その子、小田 璋が1840年(天保11年)藩命を受け、石碑をこの地にたてたものである。 

 

 

 

  


 砂子多川の「かっぱ石」  砂子多川の「かっぱ石」の写真

明治のはじめ、砂子多川上流の堤が決壊し、砂子多川橋のたもとの「かっぱ石」(伝説:いたずらをさとされたかっぱが置いていった誓いの石)が流失した。その石が昭和62年水難防止の願いを込めて復元され、毎年夏の初め、水泳シーズンを前に、子ども会の手によって水難防止祈願祭がこの石の前でとり行われている。   

 

 

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