下関市の”暮らし・食・地域・魅力”を感じる動画集です!
全部見終わった時には下関での生活が自然とイメージできるかも♪

下関徒然
移住者インタビュー

忘れられない、賑やかだった30年前のふるさとの姿。
住んでいる市民一人一人が下関の魅力を口に出して発信していこう。
現在、管理栄養士として糖尿病患者の栄養指導の仕事に携わる小川さん。
両親の介護や自身の「終の棲家」にと、東京から地元下関にUターン。
移住前は旦那様の転勤が多く国内外さまざまなところに移り住んでいたそう。
そんな小川さんに下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-久しぶりに下関に住んでみていかがですか?
これまでも年に1、2回は帰ってきていましたが、住むのは約30年ぶりです。やはり住みやすいですね。
ただ、私が学生の頃の30年ぐらい前は、下関駅の周りが結構華やいでいて、わくわくする場所だったんです。
けれども、帰ってきてみると駅前のシーモール(商業施設)の中の店舗も少なくなって、その周囲も店も無くなったり古くなって寂しい感じがして。ちょっとそこがショックでした。
-その下関駅前に、今は住んでいるということですが?
「終の棲家」を探してまして。その時にたまたまあったのがそこであって、竹崎町(駅前)に住むとかは決めてなかったんですけど。でもやっぱり駅前はドラッグストアあり、銀行あり、税務署とかもあって。
やっぱり駅前は便利だなと思います。
-下関の前は東京に住んでいらっしゃいました。
その暮らしの違いで感じることはありますか?
東京って結構、地震が多くて。2011年の東日本大震災の時、私は焦ってどう対応したらいいか戸惑っていたんですけど、友達はすぐに家から備蓄品を持って出てきて。万が一の場合に備えて用意してたんですよね。
東京では避難訓練というより「地震訓練」があって当たり前で。それだけ地震が多い地域。今、全国でも自然災害が多い中、山口県・下関市は少ないところで。そういった面で下関は「安心」ですね。
-他県と下関での生活を比べてみて?
山と海、自然がたくさんあって、空気がきれいなところがうれしい。今ちょっと花粉症で大変ですけど(笑)あと温泉が周りにすごくたくさんあるので、気軽に行ける。東京とかだったら「よし、箱根に行くぞ!」って感じなんですけれども。そして、美味しいものが安いんです。東京は美味しいものはたくさんあるんですよ。でもこっちの特産物とかが安くて購入しやすいです。
下関に帰ってきて不便だなと思うのは、電車の本数が少ない。関東とか凄くたくさん走ってたんですけど、こっちは電車もバスも本数が少ないので、車がないと何もできない。病院とかも。だから年を取って暮らすと、車がないと生活しにくいんじゃないかな。
そして、車生活だと意識して歩くようにしないと足腰が弱くなっちゃう。結構、都会って電車で移動して歩くから1日1、2万歩とかになったりけれども、こっちはどこ行くのでも車で、ちょっと運動不足になっちゃうかなと思ったりします。

-地元の人が気づいていない魅力って何だと思いますか?
夫が関東の人なので、すごく感動してたのが、大型タンカーがあんなに普通に行き来する町は珍しい!と。双眼鏡を買ったりしてちょっと感動してるんですけれどね。そういった風景とか。
それと誰でも知ってる高杉晋作にまつわる史跡とかいろんな歴史がある町なので、そういうところも結構残っているんで見てほしいです。
あと下関を出て改めて思ったのは、すごく坂が多くて、平地が少ないところだなと。だから、そういうところも魅力の一つとして前面に出すと面白いなと思ったし。
例えば、角島が全国ネットのテレビ番組で紹介されても、下関の人はそれを売りにして観光を呼び集めるとかあまりしないし、もっと下関の人が他県の人に呼び掛けたり、行きやすいような仕組みを作ったりできないかなと思います。
-小川さんにとって「下関」とはどんな存在?
私にとってはもう「ふるさと」の一言なんですけど、帰ってきて一番思ったのは、人が温かいなって思って。移住の窓口でお世話になった方が他の人との結び付きとか色々助けてくれて。新しい人と縁ができると、また新しい風景が見られるので楽しみにしています。


下関徒然
移住者インタビュー

60歳で一念発起のIターン!
同じく他県出身の学生たちが多い大学で共に新たなチャレンジを。
大阪出身で東京で銀行員をしていた鶴沢さん。社会人での大学院の修士課程を機に金融に関する研究や指導者としての道に興味を持ち、一念発起で下関にIターンし市大教授に。
現在、2人のお子様は独立し、鶴沢さんは奥様と共に下関の魅力を探索中とのこと。
そんな鶴沢さんに下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
去年4月まで銀行に勤めていたんですけれども、今回転職で下関市立大学に職を得ることができましたので、それで移住してきました。
-なぜ、転職先として下関市立大学を選んだのでしょうか。
幾つか大学を受けまして。私は関西人なので、大阪の大学とか、あるいは東京や四国とか九州も実は応募したんですが、最終的に下関市立大学が公立大学で、大学のレベルも比較的高いところでしたので、思い切って下関に移住してきました。
-大学ではどんなことを教えていますか。実際に大学で教えてみて、大学生たちの印象や感想も。
金融論と金融システム論、あとゼミを持っています。私は以前、銀行員だったということで「間接金融」と、それ以外に企業が株式市場から資金を調達する「直接金融」も含めて金融全般を教えています。
今の学生はすごく真面目なんですよね。ちゃんと授業にも出ますし、少し大人しい印象もありますが、大学来て勉強しようっていう感じが伝わってきます。下関市立大学は県外出身が8割近くいて、私のゼミでも京都とか高知とかいろんなところから下関に来ています。4年間、下関で過ごすわけですから、そこで勉強も含めて充実した学生生活を送ってもらうことが重要なのかなと思います。

-下関での今後の生活をどのようにイメージしていますか。
東京で住んでいたマンションは売却してしまいまして。背水の陣、というわけではないんですけど。こっちでは賃貸ですが拠点はもう下関に移しているので、大学で腰を据えて、教育もですが研究を中心とした仕事はしていこうと思っているので、下関に落ち着くつもりではいますね。
-奥様と移住されたそうですが、反対はされなかった?
最初はやっぱりちょっと不安だったと思います。転職のことについてはあまり言われてないです。
移住から1年ぐらい経ち、こちらの生活に慣れてきました。住む場所としてはすごく便利ですし。例えば唐戸なんかすごくいい景色が見れますので気に入ってますね。バスで通勤する車中、海響館(水族館)の前になるとバスから海が見えて、対岸には九州の山が見えるんですよね。そういう自然が凄く身近にあって。まだ色々とまわれていないんですけど、生活するには凄くいいところだと思います。
-移住するまでに準備したことといえば?
まずどこに住んだらいいのか分からなくて、最初に移住相談窓口を下関市役所のホームページで見つけて色々と相談しました。私、車の免許は持っているんですが、子どもが大きくなってからはもう車を手放して日常は運転していませんでした。「車が無かったら下関では生きていけませんよ」と何人かの人から言われました(笑)。だったら駅の近くがいいですよね、ということで今下関駅の近くに住んでいます。百貨店とかスーパーに歩いて5分ぐらいで着くので、東京よりも便利になりました。
私の場合、転職が決まってすぐ東京の仕事の引き継ぎをして、家を売って2、3か月で移ってきて。
実は事前に下関に来る時間が取れなくて。リモートで不動産屋さんを紹介していただき、カメラで部屋の中を撮って見せてもらってそれで決めて。もう来た時には鍵を受け取るだけという状態でした。
移住のハードルが低くなってきているんだなと実感しています。
-下関での生活は他県と比べてどうですか?
東京とかと全然違って新鮮な魚が安く手に入る。夜6時過ぎに行って半額ぐらいになっているものでもすごく美味しいです。家も安いですね。マンションの家賃も東京と比べると半分まで行かないけど3分の2くらいじゃないですかね。通勤は下関駅からバスに乗って大学へ。ドアツードアで40分ぐらいで着きますので、通勤もやはり東京よりもすごく楽になりましたね。
-これから下関での暮らしはご自身にとってどのようなものになりそうですか?
今まで40年近く勤めた銀行からガラッと変わって、大学教員という新しい仕事でこの歳になってチャレンジできるというか。これから学生たちともゼミとかちょっとした飲み会とか、そういう新しいご縁を生かしつつ、さらにいろんなチャレンジをして頑張っていきたいと思っています。


下関徒然
移住者インタビュー

10年かけてじっくり移住準備を楽しんできた。
定年後、地元に貢献できることを見つけてやってみたい。
東京から下関市にUターンした五十嵐さん。その後、お子様が就職で独立したこともあり、同じく下関出身の奥様も下関市へ移住。現在はお母様と奥様と3人で暮らしながら、こだわりの車でのツーリングや大好きな日本酒を楽しんでいるそう。
そんな五十嵐さんに下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
10年前に父が亡くなりまして、その時に母一人になったので。それまでは全く移住とかUターンとか考えていなかったんですけれども、いつかは生まれ育った下関に戻ろうかと思い移住の活動を始めたっていうのが、1つ目がきっかけですね。
-移住の活動とは具体的にはどんなことを?
東京・有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」の山口県ブースに相談に行きまして。当然、山口のイベントは全部出たんですけど、それ以外の自分が全国転勤して関わった土地、札幌とか新潟、広島の移住のイベントにも参加して。移住はどんなものかなっていう勉強を10年前からちょっとずつ始めていました。
-移住の2つ目のきっかけは?
東京で勤めていた会社で早期退職の募集がありまして、それまで移住の活動をずっとしていたので、これは移住するタイミングなのかなと。ただ長年働いてきた会社ですから、辞めるにあたってはすごく悩みましたし、家族の反対もあったんですけれども、最終的に下関に帰って何か地域貢献に繋がることができればなという思いもありつつ、Uターンすることに決めました。
-大学進学で離れて以来の下関の生活はいかがでしょうか。
やっぱり住みやすいですよね。都会とは違った人の温かさがありますし。食べ物が美味しい。海の幸は当然のこと、フグ、アンコウ、あとノドグロ。意外と山口県はいろんな野菜を作っていて、下関でもおいしい野菜が手に入りますし。有名なもので言うと垢田のトマトとか安岡ネギっていうのもありますし。食べ物は全般的に美味しいです。
あと個人的には甘いものが好きなので、カフェなんかはね、下関にも最近多くできていますし。特にジェラート屋さんがこのエリアに結構、多くあるのかなと。車が趣味でドライブが好きなので、週末は、角島方面にそのジェラートを求めてドライブしたり。ツーリング仲間もいまして、北九州とか福岡とか筑豊だとか、大分の方もいますし。皆さんに下関の美味しい食べ物とか、私日本酒も好きなので、山口のこういう美味しい日本酒もあるよって紹介もしていますね。

-かなりの日本酒好きだそうですね。
東京では、週に何回か全国の酒蔵の方が来て試飲会があるんですけれども、それはほぼ毎週のように行っていましたし。私の好きな酒蔵で年に一回、「酒蔵開放イベント」が開催されるときにはボランティアで手伝うくらい、日本酒にのめり込んでいました。
-山口県も美味しい酒蔵が多いと思いますが。
おいしいですね。下関酒造はもちろん、最近好きなのは、「天美(てんび)」っていう長州酒造さんの銘柄。山口県内ですと萩の酒が結構好きですね。すごく満喫しています。
-下関での生活で正直、困っていることなどありますか?
下関は1年通じて風が強い!(笑) 強風・波浪注意報が出てない日はないんじゃないかっていうくらい、
風が強い日が多いんで。それはちょっと嫌ですね。それ以外は全然OKです!
-10年かけてゆっくり移住準備をしてきた五十嵐さん。
移住する時のチェックするポイントとは?
大事なのは、地域の人とのつながりですね。移住って決まるときはパッと決まるんで、短期間でも決められるような情報収集を常日頃からしておくといいです。やっぱり移住のイベントに出たりとか。例えば下関に移住したいとは思っていても、下関、山口県の移住イベントだけじゃなくて、あえて他県の移住イベントにも行ってみて。どんな取り組みをしているのかを見るだけでも勉強になりますし、移住したらこんなことをやれたらいいなっていうヒントも得ることができると思います。
行政の移住窓口は絶対利用した方がいいと思いますね。今では個人でも色んな情報が収集できる時代ではありますけど、行政の窓口だと実際に移住した人がいたりするので、そういう方からの情報収集というのはすごく大事だと思いますね。
-これから下関ではどう過ごしていきたいですか?
自分が今まで経験したことを生かして地域貢献できるような活動がしたいです。まだ具体的には見つかっていませんが、定年退職後、下関ってこんなに良いとこだよって紹介できるような、地域のためにできることを何か見つけたいと思っています。


下関徒然
移住者インタビュー

下関が「自分ATOZ」を作るメッカのような場所になれば。そんな活動をこれからの生き甲斐にしていきたい。
塩見直紀さん(半農半X)ご自身の出身地京都から、コロナをきっかけに奥様の出身地である下関市に移住した塩見さん。
移住前から「半農半X」という生き方やまちづくりを提唱し、本も出版されているそう。
そんな塩見さんに下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
妻が下関市出身なんですが、ちょうどコロナのときに妻のお父さんが病気になって、それで家族の都合でこちらにやってきたことになります。
-これまでどのような仕事や活動をしてきましたか。
サラリーマンの時、環境問題とかですね、どう生きるかということを考えるようになって。20代の時に色んな本を読んだり、講演を聞いたりする中で、半分農業、半分何か自分の大好きなこととか得意なこと、自分のミッションというんですかね。それを=Xとして、「半農半X」という言葉がふと自分の中で生まれまして。
それを社会の為に生かすという生き方なんですけども、これから21世紀の生き方はこれじゃないかと思い、20年前に本を書いた後、全国で講演をしたりして「半農半X」という生き方やまちづくりを提唱してきました。
下関に来てから1年目は、近くの大学特任教員で週5で働き、2020年4月から集中して本を書きまして、2023年に2冊、出版しました。
-塩見さんは農業にはどのような形で携わってきたのでしょうか。
僕は故郷の京都府綾部市に33歳でUターンしたんですけども、先祖の土地があったので田んぼをやって畑をやって。あとは味噌を作るとか、そういう手作りの暮らしを取り戻すというかですね。餅つきのやり方をおじさんやおばさんに習ったり、手作りを増やした暮らしをやってきました。うちの奥さんもそういうのが好きだったので、山野草を取りに行ったり和食で使う野菜を作るとか。色んな人を巻き込んでやってきたかなと思います。

-下関に移住して良かったことや困ったことを教えてください。
今までで京都といっても山陰というかですね、ちょっと天気がどんよりとしていて、煌々とした明かりの中で暮らしたというよりは、穏やかな和室のようなそういう光の中で暮らしていたので、下関に来て感じるのは光の強さとか日照量とかですね。とにかく洗濯物がよく乾くんですね。そういうカラっとしたところ、ウチの奥さんはそういう性格なんですけども(笑)。また、とっても好きなのが金子みすずさんで。100年前に、長門の仙崎から下関に移り住んで、書店の店番をしながら詩を書いた、下関で詩を書き始めたということなんですけども。まさに金子みすずさんのような感受性で活字にしたくて。あの高杉晋作さんの志や みすずさんの感受性が息づくこの下関に暮らしているのが、今の僕にとってとても大事で下関にいる意味のように感じています。
-これから移住を考えている方に何かアドバイスがありましたら。
会社に勤めている間に自分探しはしておいた方がいいんじゃないかな。場所が決まればミッションが分かるというかですね。その場所に来て困っている人がいたらそれを助けるみたいなところから「X」が見えてくることもあるので、そこは自分でも実感しています。
-最近、素敵な出会いがあったそうですね。
散歩をしていたら、なんかいいなと思う建物を見つけて。そこは昔、小さな病院だったですけど、ある時「まちライブラリーをやります」という看板が立っていて。もう、すぐにインスタでメッセージを送って、是非、頑張ってください、応援しますと。そこは毎月10日間ほど開いていて、そのうち僕が月5日ほど店番をさせてもらうようになりまして。建物のオーナーの「X」を応援したいなっていうのもあるし、そこにいろんな人がやってきて、おばあちゃんが本を借りたりとか、本を寄贈してくださったりとか、いろいろな出会いがあって。移住の応援もできるかもしれませんし、それが今、下関で生まれた僕の新しい「X」ですね。


下関徒然
移住者インタビュー

自然の中で子どもたちを思い切り遊ばせたい。
古民家を地域コミュニティーの場に。
子供たちを大自然の中で思い切り遊ばせたいという想いで、福岡から下関市に移住した藤原さんご夫妻。いまは自分たちで耕した畑で、ずっとやりたかった野菜作りにチャレンジ中とのこと。
そんな藤原さんご夫妻に下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
広充さん:以前マンションに住んでいたんですけれども、子どもが大きくなってから上の階や下の階への足音とか、そういったのが気になりまして。もう少し広くて、自然がいっぱいあるところでのびのびと育てたいなと思って、この家を購入しました。
きっかけとしては、コロナが一番大きいと思いますね。ずっと家に居て息苦しい感じがして。
広いところ、空気のいいところに移住したいなと。かなり大きな決断でとても迷いましたが、妻の後押しがあったりして。
満穂子さん:私の方が移住したい気持ちが夫よりも強くて。この家を見に来て30分後ぐらいに私はもう買いたい!と強く思いましたね。
-満穂子さんは古き良きものがお好きということで「古民家」だったことも決め手だったんでしょうか。
満穂子さん:築150年くらいみたいなんですけど、私たちが住む前は10年ぐらい空き家だったので、見学に来た時はもう薄暗くてカビ臭かったり床が抜けてたりとか凄く状態が悪かったんですけど、私は家の周りの雰囲気もですし、造りとかも凄く好きで。
ここだったら子どもたちものびのびできるかなと思って。とても気に入りました。
-特に広充さんが家の修繕やリフォームを手掛けているそうですね。
以前から好きだったんでしょうか。
広充さん:20年くらいホームセンターで働いておりまして。それでこういう家の修理とか知識がないわけではなかったので、思ったよりはスムーズに行ったかなと。床の張り替えはしたことがなかったですけど、今YouTubeとかで丁寧に教えてくれますので少しずつ張り替えたり、襖とか障子とかも全部変えて。やればやるだけ見た目が変わってきて、やっと1年でここまで来たという感じです。

-こちらの移住に関して、苦労したことはありますか?
広充さん:畑の取得ですね。売ってくださる方は畑を6、7面ぐらい持っていて、それも使ってくださいということでしたが、いざ譲ってもらおうという時に、私もよく知らなかったんですけれども、農業従事者じゃないと簡単には畑とかを譲ってもらえないということが分かって。以前から畑で野菜とか作りたいと思っていたので、それは困るぞと。農業委員会っていうのがあって、そちらに何回も通い、民間の方にもアドバイスいただきまして。結果、1面だけを手始めに使うっていうことで譲ってもらいました。後は私たちの努力次第で、今後残りも分けていただけるようになればいいなと思っています。
-そのやりたかった野菜作りですが、やってみていかがですか?
広充さん:最初は、完全に荒れ地だったんです。けれども、下に住んでいらっしゃる方が凄く親切で。耕運機とかトラクターとかで耕していただいてすごくありがたかったです。また、シカやイノシシの害っていうのが想像以上で。初めに植えた時は、全部食べられてしまって。こんなに食べられるんだと思って、容赦ないんですよね(笑)そのあと全部ネットを張って、そのネットもご近所さんが全部譲ってくれて大変感謝しています。
満穂子さん:私は無農薬・無肥料で作ってまして、「自然農」が目標なんですけども。だから草も虫も共存、みたいな感じで。去年は結構、小豆や大豆、人参、大根とか結構採れて、私たちで食べる分くらいはできたので、今年はもうちょっとたくさん植えて、子どもたちと一緒に収穫できたらいいなと思ってます。
-田舎暮らしならではの困ったことがあれば。
満穂子さん:虫がすごく多いので、虫が苦手な人はどうかなっていうのがあります。夜布団に入った時に長男がムカデに噛まれたことがありました。病院も少ないからその辺は覚悟がいるんじゃないかなと思います。夜も真っ暗で、車を走らせるとシカにぶつかったりしてちょっと怖いですけど慣れますね(笑)。
広充さん:冬は本当に寒いです。(築100年の)古い家なんで、やっぱり隙間とかありますし、断熱材もあまり使われてないので、灯油とかこんなに使うんだって(笑)逆に夏は涼しかったです。
-古民家の方は、居住スペース以外に活用されているそうですね。
満穂子さん:今いるこの四畳半の部屋を何か活用できないかなと思いました。菊川に子どもたちが遊ぶ場所がすごく少なくて。図書館も静かにしなきゃいけなかったり、遊具がある公園が少なかったり。
そこでせっかくこの場所があるので、どなたでも気軽に来てもらって、本を読んだり暖かかったら外で過ごしてもいいし、裏山に登っても畑でちょっと野菜を収穫してみてもいいし。月一回、季節の手仕事体験ということで、うちはかまどもあるのでみんなで味噌を作ったり、夏になったら菊川は素麺が有名なので流し素麺したりとか、みんなでキャンプとかそういうのがしたいなって思っています。

-移り住んだ菊川町では、どんな交流がありますか?
満穂子さん:最初に知り合いが誰もいなかったのに、あっという間に家族ぐるみでお付き合いができて。同じ世代でアクティブに頑張っている方が結構多くて、お店している方とかこれからしたい方とか。そんな人たちでたまに集まってご飯食べたりしながら、こんなことしたいよねという話をして元気をもらっています。素麺プロジェクトがあったり、道の駅もちょっとリニューアルされる話も聞いたり。これからどんどん菊川が盛り上がっていきそうな感じがします。
-収入や金銭面での変化について教えてください。
広充さん:お店とかも少ないので、あんまりお金は使わない。出費は福岡にいる時に比べたらすごく減りましたね。最初に太陽光温水器とかも付けたりですね、あと水も井戸があるので、トイレとか水道代とかインフラ系が安くて暮らしやすいですね。近所の方に野菜いただいたりとか、遊びに来てくれた方がたくさんお土産を持ってきてくれたりとかしているので、これまでよりもっと贅沢な暮らしをさせてもらってるなと思っています。
-移住地を決めるにあたってやっていた方がいいことなど教えてください。
満穂子さん:とにかくあちこちいろいろ見に行ってですね。市によっては補助金が出たりとか、子どもに対して色々してくださったりとかあると思うんですが。
広充さん:ただ菊川町の(自分たちに当てはまる)補助金はなかったですね。下関は補助金制度が少ないなと思いました。
満穂子さん:移住者に対しても特にね、「是非来てください!!」みたいな感じでもなかったかなって。
-田舎暮らしならではの困ったことがあれば。
満穂子さん:虫がすごく多いので、虫が苦手な人はどうかなっていうのがあります。夜布団に入った時に長男がムカデに噛まれたことがありました。病院も少ないからその辺は覚悟がいるんじゃないかなと思います。夜も真っ暗で、車を走らせるとシカにぶつかったりしてちょっと怖いですけど慣れますね(笑)。
広充さん:冬は本当に寒いです。(築100年の)古い家なんで、やっぱり隙間とかありますし、断熱材もあまり使われてないので、灯油とかこんなに使うんだって(笑)逆に夏は涼しかったです。
-いろんな自治体の移住窓口に行ってみて自分たちに合った移住地を選んだ方がよさそうですね。これから下関でどんな暮らしをしていきたいですか。
満穂子さん:友人からは、自給自足するの?と言われるんですけど、勿論それが理想の形なんですが、ハードルが高いと言うか、便利なところは使って。作った野菜をインターネットで販売できたらいいなとかも思ってますし。裏山で薪が採れるのでそれを燃料として活用したりして、なるべく生活費がかからないような形で抑えながら、ゆっくり暮らしたいなと思っています。


下関徒然
移住者インタビュー

夫婦が願っていた理想の暮らしを下関で実現。
子どもたちも生き生き楽しくしてるから、やっぱりここで良かった。
優樹さんの家具職人としての独立を機に、福岡から下関市に移住した米丸さんご夫妻。
家があり工房があり畑もできる、そんな理想の暮らしが下関で見つかり、智子さんは現在、空き家を改装したカフェも経営しているそうです。
そんな米丸さんご夫妻に下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
優樹さん:僕が福岡県遠賀郡で家具を作る仕事をしていて、独立を機に物件を探しをスタート。最初、福岡県内で探しましたが、条件が合わなくて。義兄に相談したら、下関だったらいいとこあるんじゃないかっていうので、下関で物件を探し始めました。
その時に、同じ移住者のムクロジ木器の辻さんという方に色々とお世話になって何軒か紹介してもらい、最後に案内されたここに決めました。
-どういう条件で探していたんですか。
優樹さん:僕と彼女の理想の暮らしが、家があって工房があって、畑ができる程度の庭があってというもの。それが福岡にはなかなか無かったんです。
智子さん:実家があると何かと手伝ってもらえたりちょっと助けてもらえたりしますし。何より菊川が昔から好きだったんですよ。子どもの頃は下関市街の方に住んでいて、ドライブで来た時の菊川の風景が好きでした。たまたま菊川で物件が見つかった時に、すごくいい!と思って、ね。
優樹さん:やりたいことができる物件を福岡で探すとなると、限られた予算ではもう全然合わなくて。下関で探していると、結構空き家で困っている方が多くて、固定資産税だけでもいいからっていう空き家物件をいろいろ紹介してもらいました。
智子さん:下関市の移住の窓口とか空き家バンクも調べて、あとは実際に車でドライブしながら良さそうな空き家があったらその隣の家のインターホンを鳴らして直接聞いてみたりもしましたね。
-条件は良かったものの、決めた物件はすぐ住める状態ではなかったそうですね。
優樹さん:そもそも土台がシロアリでやられてて、建具とかドアが開かない状態だったんです。土台は大工さんにしてもらって。天井に穴が開いて雨漏りする状態だったところは、知人にも手伝ってもらいながら自分たちで手を加えて。床も張り替えたりとか、汚い壁のところも木を張ったりして、ようやく住めるようになりました。
智子さん:その前の片付けが一番大変やったよね。
優樹さん:ここは元々、家具屋さんの倉庫が隣にあって、ここもそしてその隣の倉庫にも、昔の学習机とか仏壇とか色んなものがあって、それをまず出すっていうところからで。
大家さんもですが、手伝ってくれたみんなが埃まみれになって、車いっぱい積んで処分場に持っていきましたね。
-ご主人の工房は自宅の敷地内にできましたが、
智子さんも自分の店を持ちたかったとか。
智子さん:20代は全然違う仕事をずっとしていて、そのうちに畑のことなどに興味を持ち始めました。
食べたり作ったりすることは元から好きだったんで、会社を辞めて福岡の飲食店で働きながら、いつか下関に帰ってきて自分の店をしたいなって思っていました。そのタイミングで主人と出会って結婚して。
移住する時、隣の豊田町で以前、駄菓子屋さんだった空き家を見つけました。雰囲気はそのままで十分良いので、手は加えずに古いままの空間を生かしました。今後は主人が作った家具のショールームも併設したいと思っています。以前、雑穀や旬の野菜を出すマクロビの店で働いていたのと、すごくカレーが好きなので、野菜をいっぱい使ったカレーを出しています。
また、調味料とか自分でちょっとこだわって選んだ食品も販売しています。

-5歳と2歳の娘さんがいらっしゃいますが、どのように過ごしていますか?
智子さん:以前はアパート暮らしだったので、ちょっと遊びに行くのにも服を着替えるし、家事が終わってからしか公園に連れて行けなかった。今はもうハイ、そのまま外へ出て行って遊んでおいで~という感じ。私は家のことしながら、子どもたちは外で自由に遊んでいるし。ミミズも平気で振り回してますし(笑)。生き生き楽しくしてるから、やっぱりここで良かったなと思います。
-移住の際に困ったことなどありましたか。
智子さん:古い家だったので、色々改装費がかかるし、主人も開業で独立資金も必要だったので、移住の窓口に行って何か使える補助がないか調べてもらったけど、菊川では残念ながらどれも当てはまるのがなくて。
優樹さん:市街地でなく中心から離れた、ゆっくりしたところで暮らそうっていう人たちって多分、できる範囲で自分たちでDIYしたいって感覚の人が多いと思うんですが、そうなると地元の工務店には頼まないから補助金が使えないんです。そこがもうちょっと寛容になってくれると、移住への一歩も踏み出しやすいのかなと思いますね。
-下関市菊川町では今後、どんな暮らしができそうですか。
優樹さん:菊川の夜はだいぶ暗いけど、ちょっと車で行けば買い物もできるし、大きな病院はないけど、高速道路のインターも近いから移動はしやすいです。
智子さん:うちは、できるだけ無農薬野菜を使っているんですけど、下関ってなかなか買えなかったんですが、隣の内日にそういうことが学べる場所が出来て、「自然農」をされる農家さんも増えてきてるん
です。今、私の中で下関への期待度がどんどん上がっています!


下関徒然
移住者インタビュー

仲間と豊北の魅力を共有したい。住み継いできた地元住民と共存するのが移住者としての気構え。
北野景さん(豊北ゲストハウス)長門に住む友人との縁で、東京から下関市に移住した北野さん。
元々は様々な土地でイラストレーターとして活躍していたそうですが、移住した現在は豊北の古民家をリフォームしたゲストハウスを営んでいらっしゃいます。そんな北野さんに下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
元々はどこか海がきれいなところで何かやりたいなっていう、ざっくりした気持ちがあって。車で関東の方から天草のあたりを目指してずっと旅をしてたんですけど、この子(愛犬ソラ)と一緒に。その時に長門の俵山に友人がいて(現在の共同経営者・カズさん)、一緒にこの辺をまわった時に凄く島の海がきれいで。
その時に色んな方に出会ったんですけれども、人もすごく良くて、この地域の方もそうだし。特に、豊浦の方の辻さんっていう木工職人をやってらっしゃる方と出会って。やりたいことあるなら家も紹介するし、必要なものも用意するし、補助金もあるよ、と教えてもらって。それで、「ああ、もう住むしかない!」という感じで移住が決まりました(笑)。
-これまではどんな活動をしていたんですか?
元々イラストレーターで、ずっと続けながら沖縄やフランスに住んだりとか、東京でやったりとかもしてたんですけど、もうちょっと自然が豊かでゆっくり絵も描けてまた違う仕事もできるような場所っていうのを探していた時にここに出会った感じですね。
一人暮らしは本当に好きじゃなくて人生で一回もしたいと思ったことがなくて、一人じゃちょっと怖いかなと。大学時代は寮生だったし、卒業してからもどこに住むにもずっとシェアハウスで。その方が色んな人いて楽しいし。私は虫が苦手なので、誰か助けてくれます(笑)。みんなで助け合うような生活がしたいなと思っていました。
-実際に下関の生活はいかがでしょうか。
凄く支えてもらっていて、びっくりするくらい。仲間も増えてますし、地元のいい大工さん紹介するよとか、いろんな業者さんを教えていただいたり、もう何から何まで面倒を見ていただいて。ちょっと疲れてたりすると、ガラって扉を開けて「おい住んでるか?」って感じで見に来てくれたり。ただ親切なんじゃなくて厳しいことも言ってくれるし、距離が近くて本当に家族みたいに接してくれる皆んな。私はもう惚れ込んでます(笑)。

-反対に、ちょっと困ったこととか、不便に思うことはありますか。
田舎で暮らしやすいんですけど、病院が…(遠い)。安いスーパーに行くのにも30分はかかる。慣れてきたからいいけど、ちょっと病院が遠いといざという時、ちょっと怖いなと。特に動物病院ですね。人間の方は救急車を呼べるけど、動物になにかあったら…。都会だと自分に合う病院を選べるけども、それはできないからそれも心配ですね。
-ゲストハウスは2023年9月1日にオープンして(インタビュー時は)まだ半年。
どんな場所にしたい?
元々は空き家の古民家をみんなでリフォームして作った。全部ではないんですけれども、一緒にやっているスタッフが工事施工管理の経験があって知識があったので、できる限り自分たちの手で作りました。
やっぱり長期滞在者を増やしたい。この辺は角島が有名だから、角島見て1泊して帰ればいいやってお客さんが多いけど、せっかくなら2週間くらい居てのんびりこの辺の地域の人と、お話したり、田舎の生活を味わって帰ってもらいたいなって思います。また、近くに住むアメリカのハーフの方に毎週来てもらって英会話教室が受けられるよとか。おばあちゃんたちにはスマホの使い方を教えたりとか。ただ宿に泊まって観光して終わりじゃなくて、地域の人との出会いがある場所にしたい。みんなでゲームしたりとか、わいわいご飯を食べて飲み会したり。日本でゲストハウスって、ただ安く泊まれるだけってところが多いので、うちはちゃんとコミュニケーションがあって人との楽しい出会いがある場所にしています。

-豊北町ではこれからどんな暮らしをしていきたいですか。
どこに移住するにもその土地のルールがあると思うし、この土地を住めるようにしてくれたのは、先祖代々ずっとここに住んでいる人たちなので。私たち移住者はその中に入れてもらってるっていう気持ちを忘れないようにしないといけないと凄く思っていて、うちに長く住む人にもその心構えは必ず話してますね。また、うちは犬も泊まれるんで、他にペットと遊べる施設や店などを絡めて、一つの観光地の形にならないかなと考えています。

下関徒然移住者インタビュー

バンドとバイクとレザークラフトに捧げた人生。
東京との2拠点生活は「案外、楽ですよ」(笑)
東京でレザーアーティスト、バンドミュージシャンとして活躍中のシバタジュンジさん。人生の最期は生まれ育った下関市で過ごしたいというお父様の手助けをしたいというところから、東京と下関での2拠点生活がはじまったそうです。
そんなシバタジュンジさんに下関への移住についてインタビューさせていただきました。
-下関に移住したきっかけを教えてください。
父親が下関市内日地域の人間なんです。年を取ってから父親は、姉がいる京都の老人ホームにいたんですけれども、最期は自分の土地で、っていうことで、その手助けのつもりで帰ってきました。
-これまでどのような仕事や活動をしてきましたか。
東京では「Rizard Head(リザードヘッド)」っていうエキゾチックレザーブランドを運営していました。また、バンドミュージシャンとして頑張っています。
衣服から財布、カバンなどあらゆる革製品のデザインから制作、販売まで全てやっています。1986年からやっていますので、もう40年近いですね。

-バンド活動とレザークラフトにはどのようなつながりがあったのでしょうか。
10代の頃からプロのギタリストになりたくて。福岡まで行ってバンドを組んで、そこでいい感じにデビューして東京に行ったんです。でも契約が2年で切れてしまって、ある会社の方から声が掛かってビジュアル系バンドなどの衣装制作の会社に入社しました。しばらくしてそこから独立。「カミーユ・フォルネ」という有名ブランドのフランス政府公認の1級技術士を持っている方と縁あって知り合いになりまして、革のいろはとか、そういうものを全て教わりましたね。
-お父様の介護がきっかけだった移住生活は、とても苦労されたそうですね。
まず家はボロボロでしたよね。おそらく12年くらいは誰も住んでいませんでしたから、草刈りはもちろん、天井は雨漏りがしてたり、床はもう風通しが悪いので全部下が抜けちゃったりとか。キッチンはカビだらけで。最初は東京を拠点にして、下関はちょっとバケーション的な感覚で帰ってくる感じで、若干仕事ができればいいかな、東京が80%で下関は20%、ぐらいの比率で考えていたんで、最初は移住っていう感覚でなかった。しかし、父親が手術をして人工透析をしなければならなくなってから、下関100%東京0%になっちゃった。そこで下関に仕事場を作ろうということになりました。
-下関に移住して良かったことや困ったことを教えてください。
東京ではコロナで凄い閉塞感を感じていました。外出時は必ずマスクをしないと不安だし、その点下関は自然が豊かだし、家内にも気に入ってもらえているみたいです。
今は、東京の店でオーダーいただいたら下関の自然豊かなアトリエで作品を作り、月1回は東京の店に持って行く、というその往復で、周りはよくやってるねというんですけど、意外にへっちゃらで。山口宇部空港からだと最短5時間半でドアツードアで行けちゃうんですよ。東京での家賃や通勤時間を考えたら全然苦にならないです。
-周辺地域との関わりを教えてください。
自治会にも入っています(笑)。また最近、道の駅きくがわで田部高校の生徒たちが考えたメニュー「バイカー飯」を販売したんですが、その発端は、道の駅きくがわにバイカーが多く集まるから。聞いてみると、角島に行くルートや山陽から山陰に抜けるルート、北九州から秋吉台とかに抜けるルートなど、ちょうどそのクロスロードらしいんです。僕も一応、バイカーということで声をかけていただいて、アンバサダーをやらせていただき、ノベルティの革製キーホルダーも作りました。
-これから下関でどのような活動を考えていますか。
下関の市街地も国内外から観光客が増えてきていると思いますが、今住むここがいろんな人が集う場所にならないかなと。先ほど話したクロスロードを生かして、バイカーたちにはここからバイクに乗って気軽にツーリングを楽しんでもらって、隣には手を付けていない納屋があるのでそこをレザー商品のギャラリーを兼ねたカフェにしてゆっくり休憩してもらうとか。また、裏には田園風景が臨める山があるので、ある程度整備したら焚火しながらコーヒーが飲めるグランピングスポットにするとか。行政の補助金があると現実味を帯びてくると思います(笑)

暮らしを感じる!
下関に移住された方にインタビューした動画集です。
下関でこんなことができるんだって発見があるのでは!

心のふるさと:下関で見つけた幸せ小川和子さん(管理栄養士)
忘れられない、賑やかだった30年前のふるさとの姿。
住んでいる市民一人一人が下関の魅力を口に出して発信していこう。
下関の魅力満喫:移住者インタビュー五十嵐学さん(食べ物ツーリング)
10年かけてじっくり移住準備を楽しんできた。
定年後、地元に貢献できることを見つけてやってみたい。
歴史と自然に囲まれて:下関の新しい生活塩見直紀さん(半農半X)
下関が「自分ATOZ」を作るメッカのような場所になれば。
そんな活動をこれからの生き甲斐にしていきたい。
下関で叶えた夢:移住者の物語米丸さんご夫妻(菊川で家具職人)
夫婦が願っていた理想の暮らしを下関で実現。
子どもたちも生き生き楽しくしてるから、やっぱりここで良かった。
下関の海が綺麗でシェアハウスオーナーに:
移住者のリアルライフ北野景さん(豊北ゲストハウス)
仲間と豊北の魅力を共有したい。
住み継いできた地元住民と共存するのが移住者としての気構え。
東京都との2拠点生活:移住者の家族ストーリーシバタジュンジさん(レザークラフト)
バンドとバイクとレザークラフトに捧げた人生。
東京との2拠点生活は「案外、楽ですよ」(笑)
食を感じる!
下関のソウルフードやおいしいグルメ情報をお届け!
下関市の歴史やディープな街並み、新しい取り組みなども紹介しています。

下関グルメさんぽ しもグル
[2024年12月放送 下関市ふく編]
下関グルメさんぽ しもグル
[2024年11月放送 下関市彦島編]
下関グルメさんぽ しもグル
[2024年10月放送 下関市長府編 part4]
下関グルメさんぽ しもグル
[2024年9月放送 下関市長府編 part3]
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[2024年8月放送 下関市長府編 part2]
下関グルメさんぽ しもグル
[2024年7月放送 下関市長府編 part1]
下関グルメさんぽ しもグル
[JR下関駅周辺エリア 後編]
下関グルメさんぽ しもグル
[JR下関駅周辺エリア 前編]
地域を感じる!
下関の食や歴史、観光スポットなどを地域別に知ることができます。
どの地域にも個性があるのであなたに合った地域を探してみてください!

下関観光プロモーションビデオ
食、景観、歴史等のテーマ別に下関市全域の魅力を下関出身のタレント波田陽区さんなどが紹介しています。
風を感じて~スポット解説(豊浦町編)
時と風の交差するまち下関の観光スポット解説ビデオです。川棚温泉のある豊浦町について解説しています。
風を感じて~スポット解説(豊北町編)
時と風の交差するまち下関の観光スポット解説ビデオです。角島大橋がある豊北町について解説しています。
風を感じて~スポット解説(豊田町編)
時と風の交差するまち下関の観光スポット解説ビデオです。ホタルで有名な豊田町について解説しています。
風を感じて~スポット解説(菊川町編)
時と風の交差するまち下関の観光スポット解説ビデオです。小日本(こにっぽん)とも呼ばれる菊川町について解説しています。
魅力を感じる!
下関在住の市民や観光で訪れた方が、下関がどんなまちかを教えてくれます。
下関のいろいろな魅力を知って、下関での暮らしを感じよう!

ここに、いる下関(ショートバージョン)
都会で定年退職を迎える夫婦の、スローライフや自然をテーマにしたライフスタイルです。
下関って、どんなマチ?
市外から見た下関 唐戸市場編
市外から下関に遊びに来てくれた観光客のみなさんに『下関って、どんなマチ?』をテーマにご出演頂いています。
下関って、どんなマチ?
草の根大作戦〜其の弐〜
下関市民みんなで都市の魅力を考え、発信する事を目的とし、市民の皆さんに『下関って、どんなマチ?』をテーマにご出演頂いています。
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下関市民みんなで都市の魅力を考え、発信する事を目的とし、市民の皆さんに『下関って、どんなマチ?』をテーマにご出演頂いています。
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草の根大作戦〜番外編〜
下関に遊びに来てくれた観光客のみなさんに『下関って、どんなマチ?』をテーマにご出演頂いています。