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清末地区の概要
概要
昭和14年に下関市に合併するまで豊浦郡清末村と呼ばれ、江戸時代は清末毛利藩一万石の城下町で、藩領は現在の清末の他、小月町や菊川町の大部分と旧市内の伊崎町、竹崎町でした。
城下町とはいいながら城はなく、中心は陣屋の館(やかた)で、その付近に家老や御殿医屋敷がありました。国道(491号)に沿って山側を走る旧国道(山陽道)の海側は、ほとんどが開藩後に干拓開作してきた広大な土地です。
地の利を生かした産物は水稲のほか、野菜、いちご、みかん、うり、花卉と様々で、山陽地区有数の作付面積を誇っていますが、毛利藩ゆかりの史跡等が散在する歴史と史跡の町でもあります。
面積
19.31平方キロメートル
人口
6,701人(令和4年2月末現在)
所在地
下関市清末陣屋5番20号