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王喜ぶらぶら 1 畑の鏝絵
王喜地区内木屋川本町、南町(畑地区)にこて絵が13戸に見られる。
こて絵について、写真家藤田洋三氏の『こて絵「文明開花」』に依ると、こて絵は江戸時代の後期頃に生れ明治、大正、昭和初期に栄えたと云われているが、何と云っても「こて絵の王国」は大分県で、特に安心院町を中心に日出、院内、山香町等で題材等は他に類を見ない程多彩かつ豊富で高度なものが残されているとの事である。
現在知られているのは、遠くでは岩手、山形、宮城の各県から新潟、冨山、長野、静岡、京都、鳥取、島根、山口、福岡、熊本、高知、愛媛等々の各府県が記されている。
山口県では、豊浦町の名が記されているが、当王喜地区の畑地区にもあり、同地区所在のこて絵は、年代も浅く昭和四十年代の作との事で旭日、鶴、亀、松等の作品で作者は、木屋川本町二丁目、木下要氏の母フジノさんの兄小田勇氏(清末出身の左官職)の作といわれている。
現在の山口県内では豊浦町と当地区の2ケ所しか無いこて絵の様であり、地区をあげて末永く大切に保存したいものです。