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王喜ぶらぶら 4 工領古墳
この古墳は、古墳時代後期(約1400年前)の円形古墳で、切石を使った整美な横穴式石室(単室)が完全な形で残っている。石室の広さは、奥行3.4メートル、幅1.9メートル、高さ2.05メートルで、羨門は東南に向いている。
なお、工領二号古墳はこの西側至近の所にあり未調査である。この他、松屋地区には工領傍示(下関市最東端)に3基(うち1基未調査)、串大塚古墳1基(未調査)松屋八幡宮北側古墳1基(調査済)、串寺山山頂の王喜寺山古墳1基(発掘調査後一般公開の後解体除去)の古墳群がある。
このことについて「和名抄(931~938)」によれば、厚狭郡九郷の中に松屋郷とあり、この松屋の丘陵地帯には大化改新(645年)前後には集落が存在し強力な地方豪族の一族が土着していたと伝えられ、この工領古墳は代表的な古墳である。