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王喜ぶらぶら 10 渡し場跡
木屋川に橋がなかった頃は、ここから対岸へ船で往き来したので渡場と呼ばれるようになった。
明治18年(1885年)新国道がここを通ることとなって石橋が架けられた。なお、明治33年(1900年)山陽鉄道開通のため、上流に鉄橋が架設された。
また、昭和2年(1927年)国道改良事業で新しい国道が計画され、鉄橋の上流にコンクリート橋が架けられた。
この辺りの河川敷は広々としていたので、いろいろな行事に使用され、毎年開かれていた農具市は、「宇津井市」とよばれ、サーカス一座などの見せ物興業も行なわれ、近郷から多くの人々が訪れ盛大であった。
河口の三角州には、大正12年(1923年)豊田製陶所の分工場ができ、陶器が生産されていた。その後、本工場となり生産を続けていたが、昭和37年(1962年)閉鎖された。
近年、河川敷の改修工事によって、当時の渡場としての風情はない。